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ゆめちょ物語


MISSION2 災害現場にもっと市民の力を!
2014.11.12
支援の先に住民の笑顔はあるか、を問い続ける
震災がつなぐ全国ネットワーク 事務局長 松山文紀さん

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「災害現場にもっと市民の力を!」のミッションでは、災害現場のニーズをいち早く把握し、現地とボランティア、支援団体等との橋渡し役となるコーディネーターを育成し、災害が起きた際にいち早く行動できる人材のネットワークを構築することを目指しています。

夢の貯金箱は、災害復興支援のプロフェッショナルたちで構成される専門委員会を立ち上げ、有用な人材育成プログラムを開発していきます。委員会の中心的存在となる「震災がつなぐ全国ネットワーク」事務局長の松山文紀さんに、被災地域とボランティア、外部支援者との連携、育成する人材に求められるものについてお話を伺いました。

 

■松山文紀氏 プロフィール

1972年、静岡県生まれ。大学4年の1月に阪神・淡路大震災が発生、計2年3か月間復興支援ボランティアに携わる。地元・静岡県に戻り10年間福祉施設勤務の後、2009年よりNPO法人静岡県ボランティア協会に所属。復興支援活動の経験を生かし、2011年3月末からは東日本大震災支援活動のため東京に出向、翌2012年より「震災がつなぐ全国ネットワーク」事務局に勤務、現在事務局長を務める。


 

2年にわたる神戸でのボランティア経験

私が最初に災害復興支援に携わったのは、阪神・淡路大震災です。当時、私は京都の大学に通っていて、自分自身にはそれほど直接の影響はなかったので当初は他人事のようでした。でも、とにかく大きな災害だしボランティアにでも行ってみよう、というくらいの感じで現地に行ってみたらすべてが現実になったんです。あまりの状況に衝撃を受け、しばらく現地に通ってボランティアをしていたら、それとはまた別に、予想外にあと4単位足りなくて大学を留年(笑)。当時は神戸でテントに泊まりながらボランティア活動をしていたので、「じゃあ活動しながら週に1回学校に行けば単位取れるじゃないか」と、卒業まで神戸で活動を続けました。

結局大学は5年で卒業したんですが、神戸はまだ全然復興という過程に進んでいなかった。道路や鉄道のインフラは整備されつつあっても、住民の生活は仮設住宅に住み始めた頃とまったく変わらない状況。まだ自分の中でやりきった感もなかったので、もう少し神戸にいることを決めて、そこからさらに1年以上、合計で2年と3か月間神戸にいました。震災から2年以上が経ってやっと公営住宅が建ち始め、仮設住宅から徐々に引っ越しが始まったタイミングで、私も地元の静岡に戻りました。

 

被災地と「日常」とのギャップを感じて

もともと私は教員志望だったんですが、神戸の仮設住宅で暮らすおじいちゃんおばあちゃんとの関わりの中でやりがいを感じ、教育から福祉にスライドして静岡の福祉施設に10年勤めました。その間にもやはりいくつか災害があって、実際に支援活動に行ったりもしていたんですが、2004年の新潟県中越地震のときに、自分の中でスイッチが入る出来事があったんです。

地震発生から2日後、少しずつ被害の全容がわかってきたというときに、孤立した集落の人たちがオムツとか水を頼む、とグラウンドに石灰で書いている様子をテレビで報道していたんですね。それが終わって次は〇〇のニュースですと言うときに、ちょうどその年に優勝した球団のビールかけの映像が流れた。生きるのにも困っている人がいる一方で、なんだろうこのギャップは、これはおかしいぞ、と。居ても立っても居られず職場に1週間休みを申し出て、現地へ支援活動に行ったんです。後にそれがご縁となって、当時少しお手伝いをしたNPO法人静岡県ボランティア協会から声をかけていただき、2009年から職員として本格的に災害復興支援に携わるようになりました。


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